私は日頃から沢山の書籍や情報を入手するようにしています。

今、社会で何が起きているのかを把握すると共に、どういう人が、どういう事を考えているのかを知る良い機会になるからです。

有名人がツイッターやブログで発言していることも頻繁にチェックするし、BBCやCNNなどの海外のニュースサイトも毎朝必ず目を通すようにしています。

本も良く読むようにしているので、書店や図書館にも1週間に1度は行くようにしています。

特に、書店で様々な本を見て歩くのは、ネットビジネスで活用できる「ネタ探し」や「キャッチコピーのアイディア発掘」に最適です。

書籍によって言っていることがバラバラ

私のように、いつも本と触れ合っている生活をしている人ならわかると思いますが、売れている書籍の中に「正反対」のことを言っている書籍が目に留まることが頻繁にあります。

 

たとえば、外出中に突然ビジネスのアイディアがひらめいたとき。

皆さんならどうやってそのアイディアを書き留めますか?
せっかく思いついたアイディアを忘れないようにするために、どんな工夫をしていますか?

 

これに対する答えとして、ビジネス系の書籍で教えられている典型的な例としては、だいたい2つのパターンがあります。

 

①常にメモとペンを携帯して紙に書く
→手を動かすことで脳が活性化され、どんどんアイディアが沸いてくる

 

②スマホのアプリを駆使してメモしたり、音声に残したりする
→データとして残るので、後から利用しやすい

 

こういうノウハウやテクニック系の話題は、個人の好みもあるでしょうから、自分がやりやすい方法を選択すればいいと思います。

 

その一方で、著者の「思想」や「哲学」といった「生き方そのもの」に向き合ったときの私たちの反応は大きく異なります。

 

自分の価値観にそぐわない情報に出会ったとき、それをどうやって扱えばいいのかためらってしまうのではないでしょうか?

 

たとえば、よく自己啓発系の書籍で、自分の未来に対してこんなことが言われます。

 

・時間は未来からやってくるから、過去の知識や経験に捕らわれてはいけない
・過去の自分を踏まえ、それを再統合して、未来の理想の自分を描き出そう

 

両者は、発想自体が全く違うベクトルに根差しています。

これを理解するためには、その著者の経歴や実績、職業、提供しているサービスなどを調べ、その人の信条が形成するまでのプロセスを把握しなくてはいけません。

 

ビジネスや自己啓発系の書籍に限らず、書籍というのは、「自分の世界観を確立している人が、そのコンテキストの中で主張を展開している場」だと見ることができます。

 

だから、その一冊、一冊を手に取る私たち(読者)としては、彼らの主張が展開されている情報空間の「与件」や「前提条件」を把握しておかないと、著者が伝えたいことの数パーセントもキャッチできない事態に陥ってしまうのです。

 

「多動力」と「運を呼び込む神様ごはん」

 

少し前置きが長くなってしまいましたが、今日はここで2つの異なる主張を展開している書籍について取り上げてみたいと思います。

堀江貴文:多動力

 

ちこ:運を呼び込む神様ごはん

 

どちらも、数日前に私が近所の書店でたまたま手に取った書籍です。

「多動力」はビジネス書籍です。

「運を呼び込む神様ごはん」は自己啓発やスピリチュアル、宗教系の書籍に分類されると思います。

この二つの書籍は、ジャンルも違えば、狙っている読者層も違います。

 

それぞれの著者が同じ業界や業種に携わっているというわけでもなければ、似たような経歴を持っているわけでもありません。

(最も、堀江さんは飲食含め幅広いビジネスやプロジェクトに携わっていますし、ちこさんも、昔からビジネスをやっていますから、そういう意味では二人には共通している事があるといえるかもしれません)

 

 

食にはとことんこだわるべきか、時短が最優先か。

まず、ちこ著「運を呼び込む神様ごはん」から紹介します。

この書籍は、大阪の樟葉(くずは)という街にある「斎庭(ゆにわ)」という食堂が舞台になっています。

「ゆにわ」とは「神様がいるところ」「神様をおまつりするための清らかな場所」という意味です。

古神道の思想に基づき、台所を「神棚(かみだな)」に見立てて、使うものや、食べるものを大切にしましょうという事が書かれています。

 

ちこさんが実際に料理をする前には、必ず台所で祈りを捧げ、道具や食材に感謝することからスタートするそうです。

 

書籍では「ゆにわ」のこともが中心に語られており、日本人のパワーフードである「米・水・塩」に対しては、並々ならぬこだわりを持っています。
お米の研ぎ方から良い水の選び方まで徹底しています。

 

この書籍の一番の要は、愛情をこめて握った「塩おむすび」を食べれば、万事つつがなく推進することができ、悩みも病気も治るとしている点です。

つまり、「食べるという行為に意識を集中させることで、心身が整っていきますよ」ということですね。

ChikoTwitterより引用

 

一方の、堀江貴文著「多動力」。

「多動」という位のテーマですから、この本を読むと、本当に堀江さんって一日中、活動しっぱなしなんだなということが分かります。

 

「多動力」の中で 「手作り弁当より冷凍食品のほうがうまい」という章があります。

この章に書かれている事を要約するとこんな感じです。(一部、私の解釈を入れています)

 

わが子のために良い食材や調味料を使って、手作りの弁当を作らなきゃという勝手な義務感にかられ、完璧を目指す人がいる。

そういう人は家事を効率化しようという発想がなく、自分が手を抜くことを一切許さない。

だけど、最終的に仕事との両立が難しく、精神的にも余裕がなくなるから、常にイライラしてしまう。
こういうのは、(見てて恥ずかしいから)やめた方がいい。

朝から無理して作った手作り弁当よりは、「冷凍食品」や「出来合いの総菜」を買って詰めた方がはるかに美味しいし、早くて便利。

子供だって、たまにはジャンキーなものを食べたいのが本音。
親が弁当を作る時間がないなら、お小遣いを渡して「これで好きな物を買って食べて」と言われた方がはるかに有り難い。

添加物も化学調味料も、(天然のものと)安全性は一緒だから気にし過ぎる必要はないよ!

 

いいですねこういうの。堀江節大好きです♡

 

真逆の価値観の一騎打ち

堀さんも、ちこさんも、「人生の大きなウェイトを占める食事」について言及していますが、両者の織りなす世界観は180度異なります。

どういう視点から「食」を見つめるかによって、真逆の発想や主張が生まれるのです。

 

どちらが正しくて、どちらが間違っている、というレベルの話ではありません。

両方正しいですし、彼らの主張を選択するかしなかは、私たちが自由に選べばいいのです。

 

医学の世界でも常に異なる見解が存在する

私は医療系の仕事をする機会が多いことから、日頃から医師や歯科医師、医療スタッフと関わり合いを持つことが多いです。

 

私が携わっている分野は「分子栄養学」という、食事で体調不良を改善したり、病気を治したりする統合治療のひとつです。
昨今、流行っている「糖質制限」「グルテンフリーダイエット」なども、私たちが取り組んでいる治療法のひとつです。

 

最近では「糖質制限」や「ローカーボ」という言葉は、一般社会に定着したので知っている人も多いでしょう。

「糖質制限」では基本的に米やパスタ、パン、ケーキ、シリアル、煎餅などの「糖質」は摂取しません。

 

血糖値を上昇させてしまう食品を除去することで、なるべく薬に頼らずに、糖尿病患者の血糖コントロールを安定的に保つという事を目的に「糖質制限」が実施されます。

 

「糖質制限」は糖尿病以外にも、メタボリックシンドロームや高脂血症、高血圧、動脈硬化にも効果があるとされ、さらには、うつ病やパニック障害にたいしても一定の改善成果をあげているクリニックがあります。

 

この「糖質制限」は世の中に浸透しましたが、未だに賛否両論あり、医学の主流からは正式には認められていません。

糖尿病学会が権威を保ちたいからというのもありますし、糖質制限によって糖尿病患者がいなくなってしまったら製薬会社が儲からなくなってしまう…という業界の事情もあるのでしょう。

 

ですから、大半の医療関係者は未だ「厳格な糖質制限」に懐疑的な立場を取っているといえます。

 

医学の世界において、それぞれの専門分野のドクターが異なる意見を主張するというのは、日常茶飯事です。

 

糖質制限以外のテーマを見ても、このことは自明です。

 

たとえば、あるドクターは「がんになったら肉を食え」という一方で、あるドクターは「がんになったら肉をやめて菜食主義になれ」というわけです。

ニキビを治すのに「洗顔がとにかく大事!」とする皮膚科もいれば、「余分な皮脂を落とさないために、洗顔はしないで」と訴える皮膚科もいます。

 

ちこの「塩むすび」で病気は治るのか

この事をを踏まえ、「運を呼び込む 神様ごはん」で紹介されていた一文について、少し掘り下げてみましょう。

 

「愛情をこめて握った塩おにぎりを食べると病気が治る」

 

結論から言えば、「神様ごはん」で紹介されている「ゆにわ」の理念に共感した人であれば病気はすぐに治るはずです。

 

コーチング的な言い方をすれば「その場にコミットすれば病気は治る」とでも言いましょうか…

「ゆにわ」のおにぎりを食べれば、自分でも驚くほど、悩みや不安はあっという間に解消されると思います。

 

病気は「病」「気」と書きます。

 

文字通り「病(やまい)」は「気」です。

 

そして「気」とは「情報」のことです。

 

だから、「塩おにぎりを食べたら自分が元気なる」と深く信じれば、その信じる気持ちが「情報空間のエネルギー」になって「病の気」を取り払ってくれます。

 

今までの「病気である自分」に対して、「健康で若々しい自分」を新たにインストールするのと同じです。

 

彼女が「ゆにわ」で毎日作っているおにぎりは、最高の「米、水、塩」を使っています。

土鍋や器、包丁、まな板など道具にも、魂が宿っていると考え、お祈りを捧げてから調理をスタートするそうです。

おにぎりを握っている時だって「これを食べてくれる人が元気になったらいいな」という願いを込めて握っています。

 

こうして作られた「塩おにぎり」を、好きな人と一緒に毎日食べることができたらそれはもう幸せになるに決まっています。

 

ちこさんのいう「おにぎりで人が元気になる」「病気が治る」というのは、こういう事だと思います。

 

ちこの「塩おにぎり」を食べても病気が治らない人たち

その一方で、「厳格な糖質制限によって血糖値を一定にコントロールしている」という生活を長らく送ってきた人にとっては、場合によっては「神様の塩むすび」が毒になる可能性があるかもしれません。

 

その理由には2つあります。

 

まず、1つめです。

 

重度の糖尿病患者などで、厳格な糖質制限を長期間継続している人の中には、精製された白米を食べただけで、急激に血糖値が上昇してしまう体質の人がいます。

 

特に、普段は全く糖質を口にしない人であれば、ほんのわずかな白米であっても、血糖値の上昇や乱高下を引き起こしてしまう可能性があります。

糖質を分解してエネルギーを作る代謝システムが、通常の人とは異なるからです。

 

たった、1個のおむすびが、体調にどのような変化をきたすかは分かりません。

こうした患者は、クリニックの管理栄養士から糖質制限の食事指導を受けている人もいるかもしれませんし、食事の内容に応じて血糖降下剤やインスリン製剤を使うように指導されているかもしれません。

 

だから、「神様の塩むすび」であっても、人によっては体調に影響が出る可能性も否めないのです。

事実、厳格な糖質制限を行っている人の中には、ランチで白米を茶碗一杯食べると、午後は「眠くて、耐えられなくなる」という人がいます。

 

 

次に、「ゆにわの塩おにぎり」を食べても健康にならない2つめの理由を書きます。

 

個人的には、1よりも2の方が要素は大きいと思っています。

 

糖質制限を継続していて、一切の炭水化物(糖質)を絶った人の脳内では、「糖質=悪」という世界が確立されています。

 

とにかく、血糖値を上昇させるものは、白米であろうと、果物であろうと、野菜であろうと関係ありません。

「糖質」というキーワードを聞いた瞬間に、脳が「自分には関係のない情報だ」と思って、華麗にスル―しちゃうのです。

 

無農薬の米だろうが、オーガニックの野菜だろうが、愛情を込めて作られた手作りのものであろうが糖質は糖質。

 

自分が食材を選ぶときは「糖質か糖質ではないもの」という、ベクトルで判断しています。

 

「神様の塩むすび」が糖質だと脳内で認識された瞬間に、自分には関係のないこととして処理され、それに付帯する情報は無視されます。

 

この盲点(スコトーマ)ができあがると、いくら「ゆにわ」で取り組んでいるこだわりを伝えたところで、受け入れて貰うことはできなくなります。

 

日本書紀には、天照大神(あまてらすおおみかみ)による「斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅」というものがあります。

 

「吾が高天原(たかまのはら)にきこしめす斎庭(ゆにわ)の稲穂を以て、また吾(わ)が児(みこ)にまかせまつるべし」
(稲が豊に生い茂る聖なる国は、これわが子孫が代々治めるべき土地。その子孫たちの天と地は永遠に栄えるであろう)

 

お米は日本人のDNAそのものです。

 

天皇家による行事や日本各地の神社でお祀りされるのは、ほとんどが「お米の豊作」を願ったものです。

日本という国やその国民性を支える基礎となっている作物であることは間違いありません。

 

しかし、「糖質制限」「白米は厳禁」というシールドが脳に張ら巡らされていると、こうした情報も一切遮断されてしまう危険性をはらんでいます。

 

「神様の塩おにぎり」を信頼し、受け入れる心の体制が整っていなければ、それはコンビニで売られているおにぎりと同様の扱いで終わってしまいます。

 

情報に振り回されるタイプの人

私は無神論者で無宗教です。

古神道やチベット密教、大乗仏教には興味がありますが、それぞれ良い所を取りいれようというスタンスです。

 

「神様ごはん」の内容について、共感できる部分もあれば、イマイチ納得できない部分もあります。

それは、ホリエモンの「多動力」でも一緒です。

 

そうした個人的体験があったからこそ、「人は異なる価値観や信念に衝突したときに、それに対してどう向き合うかというのか」というブログを書こうを思い立ったのです。

 

 

また、ちこさんと堀江さんのスタンスは対照的です。

 

「食べることに全身全霊を注ぐのか」「時短と効率性を極め、他のことにエネルギー投資するのか」

 

正反対の意見だから、混乱します。

 

この情報をどうやって「自分のモノにするか」を瞬時に判断していかないと、情報の洪水に溺れてしまいます。

 

「あの人は○○と言っているのに、この人は○○と言ってる」
「私、どうしたらいいの~!!!」
みたいなパターンです。

 

「多動力」と「神様ごはん」

たった2冊の書籍に書かれている一部を切り取っただけでも、その情報を咀嚼して、自分なりの回答を導き出すのにかなりの時間を要しています。
こうやってブログを書きながら、私自身の考えを整理しているのです。

 

でも、こういう作業は面倒くさいから普通の人はしないんですよね。

 

未知の情報に出会った時のあなたの反応

 

私たちの日常は、常に移り変わる情報で包囲されています。

新聞、雑誌、テレビ、インターネット…あらゆる所から、情報はグサグサと私たちの脳内に入りこもうとしてきます。

 

大量の情報を目の前にしたとき、私たちが取る行動は大よそ下記のいずれかになります。

 

1. 自分に関係ないから見ない(スコトーマの原理)
2. 情報の断片を頭の片隅に入れて置く(薄い記憶として認識)
3. 役立つ情報として部分的に取り入れる(限定的合理性)
4. その情報を積極的に取りにいく(違う価値観にシフト)

(※潜在意識や無意識が知らず知らずのうちに情報を認識しているのは省いています)

 

私たちは日々更新される大量の情報に対して、上の1~4を瞬時に選択して、その都度ラベリングしています。

 

前章であげた「ゆにわの塩おにぎり」を例にあげると、「おにぎりで元気になる!」と思った人は、No4に該当します。

 

その反対に、糖質制限をやっていて、炭水化物を口に入れない生活をしている人はNo1に該当するでしょう。

中には、No2の人もいるかもしれませんが、「白米なんてダメだ」という「否定的な情動を伴った記憶」として残る可能性があります。

 

日常生活のすべてを「ネタ」にするためには

情報が波乱する社会において、自分の軸がぶれないようにするためには、「No3が自然にできること」が理想だと考えています。

 

「多動力」と「神様ごはん」という正反対の主張を掲げている情報を目にしたときに、それを自分のことに置き換えてみたり、多角的にとらえてみたり、違う角度から考えてみたり、自分の意見を重ねてみたりするのです。

 

こうやって掘り下げた「思考の過程」は、そのまま自分自身のコンテンツになります。

 

私のケースでいえば「糖質制限」という身近なトピックと比較することで、シンプルな「塩おにぎり」について、ここまで延々と掘り下げて語ることができるんです。

 

※「ゆにわ」の塩おにぎりだけで、ここまで5,000文字も費やしているのですから、正気の沙汰ではありません!

 

こうやって自分の中で気になったテーマを「ああでもない、こうでもない」と揉むことで、自分でも予想外の考えに行き着くことが多くあります。

 

すると、自分の思考の足跡が、結果として「役立つ情報=自分のコンテンツ」となり、対極な意見であっても「自分の中で辻褄が合う=限定的合理性」になるのです。

 

取るに足らない話題でも、No3の作業を繰り返すことで、新しい気づきが得られたり、今まで思いつかなかったようなアイディアが思い浮かんだりします。

 

これができるか、できないかが、ビジネスにおいて「付加価値を提供できるか否か」を分ける要素になるのですね。

 

 

因みに、「No4:その情報を積極的に取りにいく(違う価値観へとシフト)」に関しては、自分が好きで勝手に情報を取りにいくので「負担になる」とか「意識してやらなきゃ」という気持ちは芽生えません。

 

ホリエモンの「冷凍食品って旨いよ」に共感したなら、価値観が同一化(従来の価値観からこちらにシフト)するのですから、もう頭の中には「明日の弁当のおかずは、味の素のギョーザに決定だな」というイメージが秒速で出来上がります。

 

「多動力」も「神様ごはん」も抽象度を上げれば同じ命題に行き着く

「多動力」も「神様ごはん」も、取り上げている題材こそ違いがありますが、より抽象的な枠組みでとらえれば、両者の著書には共通していることがたくさんあると言えるでしょう。

 

・自分の心とどうやって向き合えばいいのか
・日々自分の体をどうやって使えば快適なのか
・限りある時間をどうやって過ごせばいいのか
・自分が幸せだと思う人生とはどういうものなのか

 

これに関して、堀江さんは堀江さんのパラダイムの中で語っているし、

ちこさんはちこさんのパラダイムの中で語っているというのに過ぎません。

 

堀江さんであれば「多動力」こそが、自分の人生を余すところなく楽しむための燃料だと語っている。

ちこさんであれば「神様ごはん」こそが、天命に巡り合うための儀式・習慣だと語っている。

 

究極的に、彼らの目指す所は一緒です。(少なくとも私はそう思っています。)

 

ここを抑えておくと、対照的な意見を単純に否定したり拒否したりするのではなく、「スタンスの違いに過ぎない」ということが分かり、そこから「自分は何を抽出しようか」という心の余地が生まれます。

 

私がこのブログの冒頭で「彼らの主張が展開されている情報空間の「与件」や「前提条件」を把握しよう」といったのも、こういう理由からなのです。

 

書籍はその世界観を作っている人からのオファー

堀江さんも、ちこさんも、かなり高いレベルでの抽象度でとらえれば、目指す方向性は同じだといえます。

 

しかし、抽象度を下げて、彼らが築き上げているそれぞれのパラダイム(世界)に目を落とすと、それぞれの世界は独立したものに映ります。

 

彼らは自らが作り上げた「世界」を読者に伝えるために、彼らの世界で使われている共通言語や連帯感みたいなものを散りばめながら、読者を巻き込んできます。

 

こうすることで、「自分が想定したターゲットを選別する」というマーケティングも実施することができるようになります。

 

そしてこれは、読者が「与件」や「前提条件」を理解しようとする際に生じた「副次的な効果」によって実現することが可能になります。

 

「与件」や「前提条件」を把握する上で、読者は必然的に著者のプロフィールや実績を調べることになります。

 

あるいは、直感的に「この人っていいなあ」とか「共感できるなあ~」という感情を文章から生み出すようになります。

 

書籍を手に取ってくれた人の中から、自然発生的に「コア層」に属する人たちが誕生し、選別できる仕組みができあがります。この結果、著者が提案している世界観に共鳴してくれる人が残ります。

 

著者の立場から考えれば、

・自分はどんな人に共感してもらいたいのか
・どんな思想を持つ人に応援してもらいたいのか
・ファンやコミュニティーを作るときにどんな人に参加してもらいたいのか

これを念頭に置いて文章を書いているわけですから、書籍というのは自分の価値観や信条を人々にオファーし、自分の世界に招待するための「案内パンフレット」の役割を果たしているとも捉えることができます。

 

使える情報として切り取るコツ

自分が違和感を抱く情報や対極する2つの価値観に遭遇したとき、「役立つ情報として部分的に取り入れる(No3)」ことを私は提案しました。

しかし、実際には大量の情報を前にして、どうやって2つの異なるパラダイムを結び付ければいいのか、最初は難しいと思います。

 

人間の脳は「自分にとって関係ない情報は切り捨てる」ように働きますし、他人の主張や考えが「自分にとってどういう意味を持つのか」を瞬時に判断するのは、そう簡単なことではないからです。

 

よほど意識して取り組まないと、このスキルは身に付きません。

 

そこで、溢れる情報をうまく使いこなしていくために私がお勧めしている方法を紹介したいと思います。

 

それは、自分にとって関係あろうが、関係なかろうが、「実際に存在する情報」としてありのままを受け入れるということです。

 

一切の私情を挟まずに客観的な事実を脳内のデータベースに収納し、いざ自分が必要な時に取り出せるように準備しておきます。

 

文章をまるごと覚えるのではなく、何かひとつの「フレーズ」や「キーワード」を覚えていくだけでいいです。

 

もしテキストを目で追っていくのが大変であれば、図や写真を記憶しておいたり、自分の脳で創造した架空のイメージと結びつけておいたりします。

「神様ごはん」であれば「米・塩・水」とか「土鍋」とか「神棚」のイメージを頭に貼り付けて置くだけで構いません。

 

好きか嫌いかという情動が浮かんでくる前に、「自分オリジナルの写真」としてインプットしておくのです。

 

頭でイメージを思い描くと、「あたかも目の前に実際に起きている現象を見ていると同じ『視覚情報』が脳に伝達される」という事が分かっています。

 

写真アルバムに新しい写真を追加するように、新しい情報をイメージとして脳内にインプットしておけば、何かの機会にそれが「ポンっ!」とタイミング良く登場してくれることがあります。

 

 

これを習慣づければ、誰と会話するにしても話題に事欠かないですし、自分の勝手な偏見や思い込みによって、本当に大事な情報を取り損ねることはなくなります。

 

広大な宇宙のパラダイムを遊泳する

「塩おにぎり」と「冷凍食品」と「糖質制限」。

 

今日取り上げたテーマは、いずれも相反するものであり、完全に分離した世界の話でした。

 

しかし、相反する情報を分断させたままにしておくのではなく、「役立つ情報として部分的に取り入れる」ことで、先入観なく情報を取り込むことができるようになります。

 

そして、自分の意見や経験を掛け合わせ、その世界を再定義・再構築することができれば、一連の考察を経て生み出されたコンテンツは新しい価値を提供する事に繋がります。結果として、人間としての深みも増します。

 

これを実現させるのが、私たちの「思考」です。

 

 

私が「多動力」と「神様ごはん」という異なるジャンルの本を手にしたように、私たちの「思考」も、あらゆる世界に自由にアクセスできます。

 

自由にアクセスできる世界が広ければ広いほど、より自由で開放的な生き方ができるようになると、私は確信しています。

 

こうした世界(パラダイム)には無数の選択肢があるから、矛盾する価値観や今まで出会った事もない主義・主張に出くわすこともあるでしょう。

 

そうしたパラダイムを怖がって避けるのではなく、片足だけでもいいから突っ込んでみて、無限に広がる宇宙を自由に「遊泳」することができる人だけが、情報空間という「大きなうねり」の中で、『自分の魂を維持したまま』生き残ることができるのです。

 

 

ここで勘違いして欲しくないのは、自分の軸も持たずに、見境なしに様々なイベントに参加するような「リア充・パリピ」になってはいけないという事です。

 

私のブログを読んでいる人に、そういうタイプの人はいないと思いますが、無目的・無計画に自分のスケジュールをパンパンに詰め込んで、パーティや合コン三昧の生活を送っている人は、エネルギーを無駄遣いしている可能性が高いです。

 

私がここで言いたいのは、自身の枠を取り払って新しい世界に行くために、「情報空間中に存在する知識のカオス」に恐れずに飛び込んでみよう!という事です。

 

混沌とした知識のカオスに身を置きながら、自分なりにじっくり観察し、独自の視点から「再統合」することで、新しい世界が立ち上がります。

 

無数にあるパラダイムに溺れてしまうのではなく、意のままに「遊泳」することができれば「まだ誰も発見していない自分だけの宝島」を発見することができると信じています。